ここ秦野市では前回、前々回に引き続き清水書院が発行する中学校歴史教科書が採択されたようです。この教科書は偏った記述が多く、この教科書で学べば学ぶほど、歴史、しいては日本が嫌いになってしまいます。神奈川県内では、清水は徐々に淘汰されてとうとう秦野市一市になってしまいました。私たちは従来より 「育鵬社」を推していましたが採択されませんでした。 育鵬社の歴史・公民教科書には絶対反対のスローガンを掲げている市会議員(社民党)もいます。
秦野市の学力レベルは県下でも最下位クラスなので、どこの教科書でもたいした違いはない、と言う意見もあります。
今年も暑い夏が続いています。暑中見舞い申し上げます。
解釈変更ではなく憲法改正によって集団的自衛権の行使を容認すべきである、と言う人もいます。(知性のある人、と言われている。 リベラル、知識人?) しかし、のんびりと憲法改正をまっている時間的猶予はありません。中国の武装漁民が、いつ日本の領土である無人島に上陸し実効支配するかもしれません。現実に南シナ海、東シナ海を実効支配しようとする中国の動きに対して、いかに対処すべきか、この知性のある人々は言及していない。解釈変更、改正の最大の目的は「中国の脅威」に対して抑止力を高めることです。私のような反知性の人間(庶民)は、動物的な感覚で危険を察知しています。
8月15日に靖国に参拝するのは私のような庶民しかいません。知性的知識人は軽井沢のような避暑地で、またはエアコンの効いた部屋で読書でもしています。
まだまだ残暑との戦いは続きます。
「9条が平和を守ってきた。9条改正で 「戦争をしない国」から 「戦争をする国」になる。」、といった誤った報道をよく目にします。 「戦争をしない国」は、結構なことですが、日本は自ら戦争をしないだけでなく、他国からの侵略も許さない国 ・・・・・ つまり十分な抑止力の確保が不可欠なのです。 9条2項を見直し、自衛隊が国際法に基づく自衛権行使ができる普通の軍隊となることで、抑止力が高まり、日本はむしろ 「戦争をしない国」になる、と言うことです。憲法に軍隊保有を明記すると、「戦争をする国」になるなら、世界のほぼ全ての国が、「戦争をする国」ということになってしまいます。
「9条を改正すると、平和主義を捨てることになる。」と言う人がいます。真実でしょうか。今、私たちが改正しようとしているのは、戦争放棄を定めた 9条1項ではなく、戦力の不保持を定めた9条2項です。
「侵略戦争の放棄+軍隊の保有(国防の義務)」 、このセットでなければ国は守れないのです。平和を唱えて、無抵抗、無防備主義でやっていける世界ではありません。(奴隷の平和。)
「正義」と、「秩序」を維持するためには、「力」が大前提になります。
9条2項の改正で、日本は 「特殊な(異常な)平和主義」から、「普通の平和主義」の国になる、と言うことです。
最近よく、「安保法制が改定されたら自衛隊員が殺されることになる。(リスクが高まる)、また、自衛隊員が人を殺すことになる。」というような言を耳にします。真実なのでしょうか。この種の主張は自衛隊員に対して一見同情的に見えるが、「事に臨んでは危険を顧みず・・」という崇高な覚悟で職に就いている自衛隊員への侮辱以外の何ものでもありません。
そもそも一切のリスクや犠牲を国民が拒絶してしまえば、日本の独立と安全は守れない。(自衛隊は、そうしたリスクや犠牲を前提として日本の独立と安全を守る国内唯一の組織。)
改定されれば、日米同盟は格段に強化され、対外的な抑止力はが高まり、むしろ自衛隊員が殺される危険は小さくなるのです。
そうしたリスクや犠牲を嫌う者は、そもそも自衛隊に入隊しない。また自衛隊は世界で唯一、自由に辞めることのできる組織なのだ、そうです。